Hadeeth Cards
Da'wa cards that highlight great meanings from the noble prophetic hadiths in a simple style and attractive display that helps the Muslim to have a deeper understanding of his religion in an easy way






























Da'wa cards that highlight great meanings from the noble prophetic hadiths in a simple style and attractive display that helps the Muslim to have a deeper understanding of his religion in an easy way
預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は義務のサラー(礼拝)をしないことについて警告し、人とシルクおよび不信仰の間を分けるものは義務のサラーだということを語った。サラーは五行の二番目に位置付けられ、イスラームにおいて非常に重要なものである。その義務性を否定してそれを放棄する者が不信仰であることは、ムスリム学者の見解が一致するところである。また、それを怠けて全然行わない状態になることも不信仰であるとの教友たちの見解の一致も、伝えられている。また、義務のサラーを時々しか行わない者についても、この厳しい警告は向けられている。
預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、ムスリムとそうではない不信仰者や偽信者らとの間を分ける契約はサラーであり、サラーを放棄する者は不信仰であるということを説明している。
預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)は、このように言っている:私は、並ぶものなきアッラー以外に真に崇拝に値するものはなし、そしてムハンマド(アッラーからの祝福と平安あれ)はアッラーの使徒である”と証言し、一日5回の礼拝を遂行し、義務の浄財をその受給資格者に支払うといった、その証言が要求するものを行うようになるまで、人々と戦うことを命じられた。 もし彼らがそれらのことを行うならば、彼らはイスラームによって、彼らの生命、財産を守られる。イスラーム法によって殺害が認められた犯罪や傷害などを犯さない限り、彼らの生命は保証される。そして彼らの清算は審判の日、内実をご存知のアッラーに委ねられることになる。
ムアーズ(アッラーのご満悦あれ)は言った:私は預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)と共に旅にあったが、ある日歩んでいる時、彼の近くになった。それで私は言った:「アッラーの使徒よ、私を天国に入れ、地獄から遠ざける行いについて教えてください。」 彼は言った:「あなたは私に、その実行が人にとって大変なことを尋ねた。そしてそれは、アッラーによってたやすくされた者にとって、たやすいものである。イスラームの義務を遂行せよ: 1.アッラーだけを崇拝し、かれに何も並べるな。 2.一日5回の義務の礼拝を遵守せよ。つまり、ファジュル、ズフル、アスル、マグリブ、イシャーのことであり、それらを礼拝の条件、根幹、義務を守りつつ行うのだ。 3.義務の浄財を支払え。それはイスラーム法で定められた一定量に達したあらゆる財産に課せられ、その受給資格者へと与えられる、財産による義務の崇拝行為である。 4.ラマダーンを断食せよ。それは崇拝行為を意図しつつ、ファジュルから日没まで、飲食などを断つことである。 5.アッラーを崇拝し、その宗教儀礼を果たすことを目的として、マッカのカァバ神館を目指してハッジせよ。 それから預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)は言った:「あなたに、善の扉へと到達させてくれる方法を教えてやろうか?それは義務行為を行いつつ、任意の行為で補うことである」: 1.任意の断食。それは罪に陥ることの予防であり、欲望を弱め、力を抑える。 2.任意の施し。それは犯してしまった罪を消し、その跡もろとも抹消してしまう。 3.夜の最後の3分の1の礼拝。それから預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)は読誦した:「(懲罰)を怖れ、(褒美を)望みつつ、その主に祈りながら…」つまり、礼拝、ズィクル(念唱)、クルアーン読誦、祈願をしながら。「…彼らの脇腹は寝床から遠ざかる。そして彼らは、われらが授けたものから(施しのために)費やすのだ。また、いかなる者も、彼ら(信仰者たち)が行っていた(善い)ことゆえの報いとして、彼らのために秘蔵された喜びを知らない。」つまり、審判の日、そして天国において、彼らの目を喜ばせる物事を知らない。 それから預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)は言った:「宗教の基盤、そこにおいて依拠する柱、その瘤の頂について教えてやろうか?」 ムアーズ(アッラーのご満悦あれ)は言った:「ええ、アッラーの預言者よ。」 預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)は言った:「物事の要はイスラーム、つまりそれによって人間の宗教の基礎となるところの、二つの信仰証言である。 その柱は礼拝である。礼拝のないイスラームはない。それはちょうど、柱なしには家が成り立たないようなものである。礼拝を守る者の宗教は堅固になり、高きに至る。また、その瘤の頂と高みはジハードである。それはアッラーの言葉を高く掲げるために、敵と戦うことにおいて尽力することである。 それから預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)は言った:「今述べた物事を完全なものとし、極めるものを教えてやろうか?」そう言うと、彼(アッラーからの祝福と平安あれ)は舌をつかんで言った:「これを慎み、余計なことを話さないようにせよ。」 ムアーズは言った:「私たちの主は、私たちが語ることゆえに私たちをお咎めになったり、それを悪行と数えて私たちを罰されたりするのですか?」 預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)は言った:「ムアーズよ、あなたの母親があなたに先立たれるよう。」なお、これはムアーズに災いを祈っているわけではなく、知っておくべきことに注意を向ける際に用いられる、アラブ人の言い回しである。彼は言った:「人々が顔から真っ逆さまに地獄にひっくり返され、転落させられるのは、不信仰、名誉毀損、罵詈雑言、陰口、悪い噂を広めること、嘘といった、自分の舌で稼いだものゆえに他ならないのではないか?」
預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)は伝えている:まことに至高のアッラーは、完全さで特徴づけられ、不足や欠点からは無縁なよいお方であり、行いでも言葉でも信条でも、よいものしかお受け入れにはならない。つまりアッラーのみに捧げられ、預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)のスンナに則った物事のことである。アッラーのお近づきはそれら以外によって、なされることはない。また、信仰者にとって、行いがよくなるための最も重要な要因の一つが、食べ物がハラールで良質であることである。それによって行いは清められたものとなる。アッラーが信仰者たちに、使徒たちに命じたのと同様、ハラールな食べ物を食べて善行に励むことを命じたのは、そういったわけである。アッラーはこう仰った:“使徒たちよ、善きものの内から食べ、正しい行いを行え。”(信仰者たち章51)また、こうも仰った:“信仰する者たちよ、われらがあなた方に授けた善いものから食べ、アッラーに感謝せよ。”(雌牛章172)」 それから預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)は、ハラームな食事について警告した。それは行いを駄目にしてしまい、それが受け入れられるためにどんなに表面的な手段を尽くしたとしても、受け入れられることから阻んでしまうものである。男が払った表面的な努力は、以下の物事に現れている: 1.ハッジ、ジハード、親戚との良好な関係の維持など、服従行為における長旅。 2.髪を梳かしていないため、髪の毛がバサバサになっていること。髪の毛や衣服の色が埃で変色してしまっていること。これらは全て、男の行き詰まった状況ゆえのものである。 3.両手を天に伸ばして祈っていること。 4.「わが主よ、わが主よ」とアッラーの美名によって、アッラーに懸命に祈っていること。 このように祈りが受け入れられるための手段を尽くしているものの、男の祈りは聞き入れられない。なぜなら彼の食べ物はハラーム、飲み物もハラーム、着るものもハラームであり、ハラームなもので養われているためである。このような性質の者は、祈りが叶えられにくいものであり、むしろどうしてその祈りが受け入れられるようなことがあろうか?
預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)は、神聖ハディースの中で、至高のアッラーがこう仰ったと伝えている:「アーダムの子よ、あなたがわれに祈り、われの慈悲を望み、絶望しない限り、われはあなたの罪を覆い隠し、帳消しにし、それを気にはしない。たとえその罪と反逆が大罪であったとしても、である。 アーダムの子よ、あなたの罪の余りの多さゆえに、それが天地を覆い、天の高きにまで至り、その隅々を埋め尽くしてしまうほどだったとしても、われに罪の赦しを乞うならば、われはその多さなど気にすることなく、あなたのためにそれを赦し、全て抹消してやる。 アーダムの子よ、たとえあなたが死後、大地いっぱいの過ちと罪と共にわれのもとにやって来たとしても、われだけを神とし、われに何も並べない状態で死んだのであれば、われはあなたのそれらの罪に大地いっぱいの赦しで報いてやる。というのもわれは赦し深いのであり、シルク以外のあらゆる罪を赦すからである。」
預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)は神聖ハディースの中で、アッラーがこう仰ったと伝えている: わがワリイの誰かに敵対し、怒らせ、嫌悪感を抱かせる者には、われがその者に対して敵対することを宣言する。 ワリイとは、敬虔な信仰者である。信仰心と敬虔さが強ければ強いほど、アッラーとの親愛な関係は強くなる。 ムスリムがその主アッラーにお近付きを求める物事の内、服従行為の遂行や禁止行為の放棄といった、アッラーがその者に対して義務付けたものよりも、アッラーにとって愛すべきものはない。そしてムスリムは、アッラーがその者を愛するようになるまで、義務行為に加えた任意の行為によって、アッラーにお近付きを求め続けるのである。 そしてアッラーがその者を愛せば、アッラーは以下の4つのことにおいてその者を正しく導いてくださる。 アッラーはその者の聴覚を正しく導き、アッラーのご満足にかなうことしか耳にしなくなる。 また、その者の視覚を正しく導き、アッラーのご満足にかなうことしか見なくなる。 また、その者の手を正しく導き、アッラーのご満足にかなうことしか手を動かさなくなる。 また、その者の足を正しく導き、アッラーのご満足にかなうことにしか足を歩ませなくなる。つまり、よいことに向かってでしか努力しなくなる。 その者がアッラーに向かって何かを乞えば、アッラーは必ずそれを与える。アッラーはそのような者の祈りに答えてくださるのである。また、アッラーに庇護を求めて避難すれば、アッラーは必ずその者が恐れていることから庇護して下さる。 そしてアッラーは仰る:死を厭う信仰者の魂を召すことほど、われが行う物事の内で、われが慈悲ゆえにためらうことはない。なぜならそこには痛みがあり、アッラーは信仰者を痛めるものを嫌いになるからである。
預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)は、アブドッラー・ブン・ジュドゥアーンについて語った。彼はイスラーム以前の時代、クライシュ族のリーダーの一人だった。 彼にはよい行いがあり、親戚関係を良好に維持し、善行を施し、恵まれない人に食べさせるなど、イスラームが勧める高徳の行いを実践していた。しかし彼の行いは来世において、彼の役に立つものとはならない。それはアッラーに対する彼の不信仰のためであり、彼が1日たりとも「わが主よ、報いの日、私の罪をお赦し下さい」とは言わなかったためである。
アッラーの使徒(アッラーからの平安と祝福あれ)は雨が降った夜の後、フダイビヤでファジュルの礼拝を行った。フダイビヤはマッカの近郊の村である。 彼は礼拝を終えると、人々の方に向き直って、こう尋ねた:「あなた方の主が何と仰ったか知っているか?」 彼らは答えた:「アッラーとその使徒がよくご存じです。」 彼は言った:「至高のアッラーは、雨が降った際に人々は2種類に分かれる。それはアッラーを信じる者たちと、アッラーを否定する者たちである。 ”アッラーの恩寵と慈悲によって、私たちは雨を恵まれた”と言い、雨をアッラーに結びつけた者は、この世を創造し司るアッラーを信じ、星を否定した者である。 一方、”これこれの星のおかげで、雨を恵まれた”と言った者は、アッラーを否定し、星を信仰したのである。」降雨の原因を星に結びつけることは、小さな不信仰である。アッラーは法則という意味でも、定めという意味でも、星を降雨の原因とはしなかったからである。 また、降雨やその他の地上における現象を星の出現や入りなどの動きと関連付け、かつ星自体が真の行為者であると考えるのであれば、大きな不信仰を犯した不信仰者となってしまう。